Deep Breath

Anything Goes

おやすみです

今日はちょっと記事を書いている途中で書き終わらなさそうだなと思ってしまったので、最近よく音楽を貼っておきます。

 



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ではまた明日。

 

青森旅行

青森に旅行しに来てます。

 

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 弘前駅まで鈍行で行って、そっから乗り換えて

 

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青森へ。さらにそこからバスで2時間ほど揺られ、

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星野リゾート青森屋に到着。

 

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りんごの自販機があったり、ねぶたのショーがあったりと十分に青森を満喫することができました。

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明日は秋田に帰って学園祭の準備をします。

 

久しぶりの投稿

【勉強内容】
心理統計
     復習:第5章
     学習:第6、7章
心理学研究法
     復習:1章
     学習:2章半
Introduction to Linear Algebra (おさぼり)
     復習: p10の Gaussian eliminationまで
    
【気づきなど】
・朝五時に起き30分ラン、30分縄跳びをした。このまま流れで筋トレをすればよかった。また、今日は内省を行うつもりであったが、トレーニングで疲れてしまいそれどころではなかった。散歩程度の軽い有酸素運動は、気分転換になるが、それ以上はやはり疲れるので休息の時間をきちんと取るようにしておく。でないと時間を無駄にするだけ。(注意力が散漫になり、行動・感情分析ができなくなるので、一日を本当に無駄に過ごすことになる。自分の状態が良くない時は積極手に休養すべし)
・知っている人が多い環境であるばあるほど、立ち話をしてしまう。(これがAIUか!!!)
→時間を限定するのと、人と会わない環境、時間帯を作るのが大事。
・あとで値を複数持つデータに拡張するのに便利というのがあり、線形モデルが統計に使われているという意味がしっかり理解できた。
・数学は午前中にやった方が良い。午後は正直、精神的にきつい。
・数学の公式集をそばに置いて勉強するとすごぶる効率が上がる!!!

 
 

2016年上半期レビュー

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どうも久々の更新です。WIlliam & Maryでは一ヶ月ほど前からサマーセッション(夏の授業)が始まり、もうすぐそのセカンドタームが始まろうとしている。僕は、1st termのみ授業の履修をしていたため、前日テストを終わらせ、今はD.C.に住む友達の家に電車で向かっているところである。「2016年が半年が過ぎれば。留学が終わる」と今年の初めに考えた時は、それは遠い未来のように感じていたが、過ぎてみればあっと言う間だったという感覚しかない。この一年間、大変なこと、つらいことを含めて、本当に沢山のことがあったが、なんとかやりきることができた。こんなことを言うと、研究者の方々に怒られだが、少しだけ勉強と研究の魅力について気がつき、それらに熱中することの楽しさを体感することができたのは僕の留学生活における最大の財産である。(しがない学部生の戯言だと思って多めにみてください笑)

 
勉強・研究
留学前には、「開発社会学とそれに合わせる形でリサーチの手法を学ぶ」という意気込みを持っていたが、春学期にリサーチアシスタントをやる中で、社会学という学問が扱う対象のレベルと自分が解明したいと思うそれの間に少しずれがあるように感じた。そういう気持ちを持ちながらもたまたま友達に履修した「社会心理学」の授業では人間の心を扱う心理学という学問は、自分の本質的な探究心から生まれてくる問いを明らかにするものであるとわかり、その時から社会学ではなく心理学を軸に扱っていくことに決めた。取り組むものを変える時というのは不安と迷いがつきまとう。「もう勉強したくないというのは、努力不足からくる不満なのではないか」「この学問を続けた先にきっと何かがあるのではないか」しかし、よく考えると僕が心理学という学問をする場合、こうしてうまく自分の過去を生かしながら、過去を否定しない形で、そして過去の上に積み上げていく形で今できることを必死に頑張っていけばいいのではないかと思う。
 
内面的な変化
少し前までは、自分の調子に合わせて気持ちが揺れ動いてしまう傾向があった。うまくいくときは、自分の能力を過信し、逆のときは諦める道を選ぼうとしてしまう。プライベートで問題ががあれば、そちらに意識を取られてしまい、やるべき仕事に集中できなくなってしまう。しかしながら、こうした悩みや成功体験に縛られてしまうのは、結局のところ”今”に集中できてないからではないだろうか。禅には「一息(いっそく)に生きる」という言葉があり、それはひと呼吸する瞬間を一生懸命に丁寧にいきなさいという意味である。過ぎた過去を悔やんでも過去は変えられませんから、私たちは「今」を生きるしかない。過去に1人悩んでいても仕方がないのだ。このように心がけるようになってから、自分の気分の良し悪しに限らず、集中できる機会が増えた。残り半年も謙虚に今やるべきことをやるということを胸に頑張りたい。
 
健康
昨年の9月から今年の初めくらいまでほぼ毎日激しい腹痛で苦しんでいた。日本の病院で診断されたように僕の腹痛はストレスや冷えによるものだと思っていたが、どんなにそれらを気をつけても改善の余地がない日が続いた。春学期になり、このままでの状態ではどうしようもないと思い、図書館に行って、栄養学やパブリックヘルスの文献を読みあさったり、大学のカウンセラーに相談しながらなんとか自分の心身を健康な状態にして、勉強に打ち込めるようにはならないかを考えた。すると、知識が増えていくと同時に体が状態が少しづつであるが改善していった。これからも睡眠、栄養、運動は大事だと思うので、引き続き勉強を続けていきたい。
 
 
運動
ランニングは10km、20km、スイムは2km程度ならきちんとやりきることができる体力がついてきた。帰国後のレースが楽しみ。
 
 

 

4/25

最近とても調子が良い状態で勉強ができている感じがする。
今学期もあと2週間ほどなので、自分のペースで残りもがんばりたいです。

おやすみなさい!

価値

ここ数日は1日過ぎてから、前の日を振り返る感じでこの日記を書いているんですけど、本当はその日のうちに書いてしまいたいと思っています。昨日はとても調子が良く、午前中のうちにペーパーを書いて、来週の課題を終わらせることができたで、午後は再来週から始まる期末試験の勉強を少ししてから、息抜き程度に1時間ほど散歩をして、夜には、日本人留学生を中心とした送別会があったので、行ってきました。
 
散歩をしている時に、とある雑貨屋に行って素敵な20cm四方くらいの小さな絵を見つけたのですが、それの値段が45ドルくらいすることに驚きました。この前の冬休みに同じ大きさの絵をプラハで見かけた時には、だいたい20ドルくらいの値段でしたので、とても良い感じのものでしたが、その時の価格と比較するとなかなか買いたいと思えませんでした。ここで、僕が買いたいと思わなかったのは、この値段であるからということ、もう少し詳しく説明するならば、このくらいの値段なら大体20ドルくらいであろうという基準が僕の中に出来上がってしまっているというほか理由がありません。
 
価値についての基準設定が難しいと思うのは、安くすぎても高すぎてもダメであるということだと思います。自分の中での基準がとても安く、審美眼を持たない、もしくは絵を買えればなんでも良いという場合、40ドルという値段は高いし、逆に40ドルくらい出さなければ良いものは買えないと思い込んだり、お店の人に言われて説得されたりということもありえます。
 
あなたが消費者側の時、妥当な値段で物を買いたいと思ったら、まずはそのものにどれだけの労力がかかるのか(マルクスでいう労働価値)をきちんと理解することが大事だと思います。また、これを知る上で大切なのは、賢い消費者として何にどれくらい値段かをあらかじめ知っておく必要がありますよね。

さらに労働価値と同じくらい大事なことなのですが、労力がかかっていても、市場的には価値がないもの、すなわち、需要が供給を大きく下回る場合があります。この場合、お店はものを買ってもらうように、市場の需要に合わせて値段を決定していきます。(市場価値)元をたどれば、売買というのは価格交渉がつきものであり、妥当な市場価値は、売り手と買い手の交渉によって決定づけられていたのですが、いちいち値段を交渉していると時間がかかってしまう理由もあり、大手のコンビニやスーパーでこのような価格交渉をする人をあまり喜ばれなかったのですが、最近では、逆に他店やネットの販売店との値段を消費者が比べ、そちらの方が安かった場合、販売店の独断で値段を下げるという交渉も見られますよね。
 
ということで、妥当な値段かどうか判断するためには、労働価値と市場価値をよく理解しておくことが大切になります。

↑マルクスの入門書としてはこれが一番オススメです。

 
<補足>
現代社会では、物質的なモノに限定せずに、情報という実体性がないものが売られる社会であります。このような社会では、情報通信技術の進歩を受けた高度情報化社会の進展に伴い、利潤を生 み出す「差異」の性質の変化が鮮明になっていることが指摘さています。
高度情報化社会は、生産物が持つ実体的な利用価値が利潤を生むのではなく、 差異そのものを売ることが利潤を作り出す「情報の商品化」の時代の到来であると、 論じている。そこでは、消費の効用の評価も、五感に通じて得られる実体的な価値の 大きさ、たとえば、「うまい、心地よい、便利だ、楽だ」などの基準から離れ、それに 代わって、他者とは違うという感覚を覚醒させる「差異化された情報」の価値が、モ ノの値段を決める重要な要素となっている。”  岩井克人「二十一世紀の資本主義論」(筑摩書房・ちくま文芸文庫)
 

決してマーケッティングや広告の技術を否定するものではないですが、問題は、情報の 差異化が目的化し、「変化」の過剰な演出が人々を駆り立て、生産物の実体的価値から あまりにも離れたところでモノの価値が金銭的にはかられることであります。実体的なものに関してはそれを作り出すという過程で値段が決定されるのですが、情報に関してはそうした基準がないので、判断がとても難しいです。二年くらい前に、前に使っていたブログで「有料オンラインコンテンツに価値があるかどうか」というテーマで記事を書いた時に、有料コンテンツのバリューというのは、無料コンテンツとの違いや、ギー・デゥボールが主張する価値が市場のイメージで作られていると記したのですが、これも基本的には実質的な価値がないものを社会や消費者が意味付けしていく主たる例だと思います。
 

有料コンテンツに関する誤解

 

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情報にお金を払う時は「それ本当に必要な情報?」と一歩立ち止まって自ら問うことが必要かもしれません。

 
ではでは、みなさん良い週末を。